水曜日の夜に滋賀県立大学で開催された琵琶湖塾第4回プログラム
「ベニシアの手づくり暮らし〜人生は40歳から始まる〜」を受講しに行ってきました。
会場はほぼ満員の大盛況ぶりです。
定時通りに開演されました。
年齢層はやはり高めで、女性7男性3位のわりあいでしょうか?
女性がもっと多いかもしれませんでした。
県立大学の学生さんを除くと、一般では私が年齢は低いぐらいに思えるほど
定年組以降の層が多かった感じです。
ベニシアさんは外人なので、日本人の講演慣れしている人のように、文章をすらすらと組み立ててお話しされる感じではありませんでしたが
彼女なりに、過去の生い立ちから現在に至るまでの経緯をご紹介してくださいました。
NHKや出版社から出ている本では解らないというか、カットされてしまうような
彼女の側面を垣間見れて、とても親近感を持つことが出来ました。
1950年にお生まれになったベニシアさんは貴族のお母さんと共に何度かのお父さんを経由して(お母さんが恋多き人だったんでしょうね。)
10歳ぐらいの時に、いわゆるブルジョワジースクールに通い始めて、(恵まれた)周囲の人や、自らの母親の男性遍歴に少しずつ疑問を感じていたそうです。
その頃のベトナム反戦運動、いわゆるカウンターカルチャーの影響を多大に受けた様でした。
フォークギターをもちバンドというか音楽活動を始め、レコードレーベルと契約もし
当時好きだったサイモン&ガーファンクルのスカボローフェアをよく聴いていたそうです。
ただ、レーベルと契約を切られてしまい、自身と音楽とは縁があまり無いと感じ、
好きだったビートルズのジョージハリスンの禅や東洋思想に触発されて、いざインドに単身で旅立つ訳です。
こういった生い立ちをきいて、私は現在のメディアが装飾している彼女のガーリーな部分よりも、彼女の物質主義や既存体制に対する疑問が既にティーンエイジャーの頃から確立されていた事がよく解りました。
会場に来ていたお金持ちそうなガーデニングおばさんからは想像も出来ないであろう、いわゆる
日本で言う不良少女だったと言っても過言では無いと思います。
インドでの生活後ネパールで日本から来ていた同じようなヒッピーから(当時の学生運動全盛の)日本の事を聞き、船で九州から来日したそうです。ロンドンで日本的なサウンドを聴いたことがあり、その時の神秘的な感じも影響していたと語られていました。
直ぐに九州男児と結婚するも、やはりうまくいかなかったようで、
そして、現在のご主人と出会い結婚となるわけです。
彼女が今のご主人の自然をフィールドとするライフスタイルに影響を受けたのも
彼女の過去の生い立ちをみても、それはごくごく自然なことだったのでしょう。
NHKでは絶対にカットされるであろう、除草剤や殺虫剤等のケミカルに対する彼女のスタンスは
言い回しは柔らかいですが、非常に危機感を持っていらっしゃるようでした。
人間には何パターンの人がいて
自分の生きる意味になんの疑問も感じずに、好き放題やってしんでいく人。
哲学的に、生きる意味を考えすぎてしまう人。
年を重ねるごとに、死を意識して、自分が生きている意味を探していく人。
日本ではいつの間にか、自分自身の事を考えたりすることを中二病などといい
若い頃にかかるハシカの様なものと捉える節があります。
私がベニシアさんのことが何となく好きになったのは、なにかベニシアさんがただの
金持ちおばさんのガーデン好きに見えなかったんですね。
彼女が今でも驚くようなセンシビリティを持っているのも、そうした過去の経験や
失敗や生い立ちから、今の現状があり、そしてハーブや自然思想に繋がっているのだと感じました。
現代の日本で、外国人である彼女がなぜ人気があるのか?
外国人である彼女の方が日本の事が詳しかったりする。
日本の伝統的な工芸や、近隣の自然にふれ合う姿勢。
気づきを与えてくれてるのだと感じました。
私もそうですが、やはり音楽の影響というのは、凄いですね。