10/12/2012

ベニシアさんの講演会に行ってきました。

こんにちは
水曜日の夜に滋賀県立大学で開催された琵琶湖塾第4回プログラム
「ベニシアの手づくり暮らし〜人生は40歳から始まる〜」を受講しに行ってきました。

会場はほぼ満員の大盛況ぶりです。
定時通りに開演されました。
年齢層はやはり高めで、女性7男性3位のわりあいでしょうか?
女性がもっと多いかもしれませんでした。
県立大学の学生さんを除くと、一般では私が年齢は低いぐらいに思えるほど
定年組以降の層が多かった感じです。

ベニシアさんは外人なので、日本人の講演慣れしている人のように、文章をすらすらと組み立ててお話しされる感じではありませんでしたが
彼女なりに、過去の生い立ちから現在に至るまでの経緯をご紹介してくださいました。

NHKや出版社から出ている本では解らないというか、カットされてしまうような
彼女の側面を垣間見れて、とても親近感を持つことが出来ました。

1950年にお生まれになったベニシアさんは貴族のお母さんと共に何度かのお父さんを経由して(お母さんが恋多き人だったんでしょうね。)

10歳ぐらいの時に、いわゆるブルジョワジースクールに通い始めて、(恵まれた)周囲の人や、自らの母親の男性遍歴に少しずつ疑問を感じていたそうです。

その頃のベトナム反戦運動、いわゆるカウンターカルチャーの影響を多大に受けた様でした。
フォークギターをもちバンドというか音楽活動を始め、レコードレーベルと契約もし
当時好きだったサイモン&ガーファンクルのスカボローフェアをよく聴いていたそうです。
ただ、レーベルと契約を切られてしまい、自身と音楽とは縁があまり無いと感じ、
好きだったビートルズのジョージハリスンの禅や東洋思想に触発されて、いざインドに単身で旅立つ訳です。

こういった生い立ちをきいて、私は現在のメディアが装飾している彼女のガーリーな部分よりも、彼女の物質主義や既存体制に対する疑問が既にティーンエイジャーの頃から確立されていた事がよく解りました。

会場に来ていたお金持ちそうなガーデニングおばさんからは想像も出来ないであろう、いわゆる
日本で言う不良少女だったと言っても過言では無いと思います。

インドでの生活後ネパールで日本から来ていた同じようなヒッピーから(当時の学生運動全盛の)日本の事を聞き、船で九州から来日したそうです。ロンドンで日本的なサウンドを聴いたことがあり、その時の神秘的な感じも影響していたと語られていました。

直ぐに九州男児と結婚するも、やはりうまくいかなかったようで、
そして、現在のご主人と出会い結婚となるわけです。

彼女が今のご主人の自然をフィールドとするライフスタイルに影響を受けたのも
彼女の過去の生い立ちをみても、それはごくごく自然なことだったのでしょう。

NHKでは絶対にカットされるであろう、除草剤や殺虫剤等のケミカルに対する彼女のスタンスは
言い回しは柔らかいですが、非常に危機感を持っていらっしゃるようでした。

人間には何パターンの人がいて
自分の生きる意味になんの疑問も感じずに、好き放題やってしんでいく人。
哲学的に、生きる意味を考えすぎてしまう人。
年を重ねるごとに、死を意識して、自分が生きている意味を探していく人。

日本ではいつの間にか、自分自身の事を考えたりすることを中二病などといい
若い頃にかかるハシカの様なものと捉える節があります。

私がベニシアさんのことが何となく好きになったのは、なにかベニシアさんがただの
金持ちおばさんのガーデン好きに見えなかったんですね。
彼女が今でも驚くようなセンシビリティを持っているのも、そうした過去の経験や
失敗や生い立ちから、今の現状があり、そしてハーブや自然思想に繋がっているのだと感じました。

現代の日本で、外国人である彼女がなぜ人気があるのか?
外国人である彼女の方が日本の事が詳しかったりする。
日本の伝統的な工芸や、近隣の自然にふれ合う姿勢。
そんな私たちの身近にあるセンスオブワンダーを、ベニシアさんは鈍感だった日本人に
気づきを与えてくれてるのだと感じました。


私もそうですが、やはり音楽の影響というのは、凄いですね。

10/10/2012

木曽 御嶽山の紅葉を見に・・・・。

なんと土曜日の稲刈り後一旦自宅に戻り、その晩から長野県の木曽御嶽山に向かいました。
XZ-1にて撮影

老体にむち打つ過酷な移動ですが、数年に一度の最高の紅葉と聞くといてもたってもいられないです。

土曜日の10時過ぎに友達を車に乗せて、いざ中津川を経由して御岳ロープウェイまで車を走らせます。

事前に車中泊の準備はばっちりで、寝袋や毛布、そしてホンダフィットのリア部をフルフラットにするやり方をインターネットで調べて
深夜二時過ぎに到着後、直ぐに車中泊の準備に取りかかりました。
寝る姿で運転していたので、あとはコンパネの板を敷いて、寝袋に入って寝るだけです。

疲れていたのと耳栓もしっかりしていたので、直ぐに寝付けました。
あんな小さなフィットですが、174cmの身長の私が足をほぼ伸ばしきって寝られるのは
驚きでした。
私より身長が高い人は難しいですね。

と言うことで、ぐだぐだ言うよりも
今回は写真が多いので、アルバムとスライドショーにしました。
今回使った機材は
Olympus E-system E-3+E-520
Olympus XZ-1

レンズは
Olympus Zuiko Digital ED 12-60mm F2.8-4.0
Olympus Zuiko Digital ED 50-200mm F2.8-3.5
Olympus Zuiko Digital ED 40-150mm F4.0-5.6

です。
私がE-3で友達がE-520
コンパクトのXZ-1はお互いに持っていたので、それぞれ使いました。

ただでさえ一眼レフの機材が重いので、一人で2台の一眼レフはしんどいとの判断で
コンパクトを持って行きましたが、非常に吉となりました。

下山の途中で、一人で来られていた男性と紅葉の話しになり、その時にカメラの話しにもなりました。
Eシステムも使っていたそうですが、現在はソニーのシステムで撮影されていました。
一通りのメーカーのマウントを使ってこられていたので、色々とお話しが聴けました。

私のカメラは画素も少なく今では古いカメラになりますが、この子が壊れるまで大切に使いたいと思います。

はじめての稲刈り

こんばんは
秋らしくなり、山の方では紅葉の知らせや初冠雪の知らせも来ているところですが
いかがお過ごしですか?

先週の土曜日に私がオーナーに参加している和良町の田んぼでの稲刈りが行われましたので、行って参りました。

前回の草刈りは天気が良くありませんでしたが、今回はお天気も問題なく
無事に念願の稲刈りが出来ました。

ではレポートです。
いつものように、朝が早いです。
会場に8時半頃には到着ですので、6時過ぎには自宅を出ます。
いわゆる、マイカマを持ってなかったので、事前にホームセンターで鎌を買ってきました。
500円ぐらいのと980円のとありました。
何が違うかというと、中国製と、日本製です。
どちらか迷いましたが。写真の日本製の鎌にしました。
とっての部分が赤く塗られていて、他の人の鎌と判別がつきやすいだろうとの事も思って。

このかまがざっくざくと非常によく切れました。

刈った稲はこのようにある程度まとめて、湿らせたワラで結わいてゆきます。

 みんなで一斉に刈っていきだんだん田んぼがはげてきました。

 こうして、どんどんそこら中にまとめた稲が積んで行かれます。
刈るのはまあ、それはそれで大変なんですが、意外と大変なのが、この稲を結わく作業なんですね。

次に稲架(はさがけ)と言う、天日干しにする作業です。
地元の方より、教えて頂き、結わいた稲をだいたい7/3分けにして、交互に架けていきます。
 お日様の方向に当然向けて、乾きやすくします。天日干しにした方が美味しいそうですし
他の田んぼのお米と混じらないので・・・・。
当然ですが、カントリーエレベーターとかに持って行くと、ほかのお米と混ざってしまいます。
 と言うことで、午前中皆さんで力を合わせて、上の写真の様に、完了しました。
どうだ!!この自然の恵みと、みなさんの力の賜!!
 お昼ご飯は地元のものを使った特製お弁当です。
栗ご飯美味かったですよ〜。
午後は、オリエンテーションで、近くのお寺にて語り部をきかせて頂き解散でした。
途中地元で一番大きなお祭りをしてらっしゃいました。
前回伺った戸隠神社のお祭りです。

貴重な地元のお祭りも見せて頂いて、この日は和良町を後にしました。
来月はいよいよ、収穫祭で、私のお米を頂きにいけるので、楽しみです。
早くこちらの新米がどんな味か食べてみたいです!!