8/27/2011

TABERU LIVE の為に松本に行ってきました。

こんばんは

先日長野県松本市に大貫妙子さんと陶芸家祥見さんとのトーク&ライブに行ってきました。

滋賀県から車で約3時間ほどかかりましたが、一泊二日の独り旅も兼ねてのライブです。


まず1回目のレポートは、名水の町松本市の湧水を巡るレポートです。

松本市内の湧水群は環境省の認定した平成の名水百選に指定されています。

周囲を山に囲まれた松本市内には至る所に湧水の井戸があります。

松本市の観光HPには水めぐりマップのPDFがアップされています。
3つのコースがあるのですが、気合いを入れて私は全て回りました。

松本城は周囲から眺めるだけで、私的にはもっと人々の生活の息吹が感じされるこの名水めぐりに重点を置きました。

1コース終えた所で、昼飯です。
おきな堂さんの「バンカラカツカレー」を迷わずにオーダーしました。
スパイスの効いたチキンカレーにカツがのっています。
 腹ごしらえをして、2つめのコースを回ります。

 1つ重大なミスをしてしまったのは、
リュックサックにクリスタルガイザーを入れて移動していたのです。
こんなきき水が出来るんだったら、持って来なきゃよかったって思いました。

各湧水井戸には、コップや柄杓がおかれており、ペットボトルを一本持って近所の人が汲みに来てる姿もあれば
車に大量のペットボトルを積んで、汲みに来てる人もいました。
 こちらの、写真の横にベンチがありました。
昼食後で、朝5時起きの私は、木陰と風のそよぐこのベンチで昼寝してしまいましたww

 井戸もいろいろな形があります。
オーソドックスなものから、したの写真の様にポンプから水が出ている所もありました。

 自噴式なのか、電動ポンプでのくみ上げなのかは、全部をしらべませんでしたが
ポンプの音がしているところもありましたので、長浜によくある井戸水のように、ポンプでくみ上げているのかもしれません。

おそらく殆どの観光客は通らないような細い細い道をかき分けて、コースを進みます。

ほかにもたくさんの井戸の写真を撮りましたが、この辺にしておきます。

続きは松本美術館から・・・・。

8/14/2011

今年のお盆の過ごし方。

こんばんは

いよいよお盆休み。

みなさん家族団らんでお過ごしでしょうか?

相変わらず温暖化の影響で、連日の猛暑日が続いています。

私たちが年寄りになる、30年後とかには、いったいどれぐらいの平均気温になってるとおもいますか?

夏の日本の本州の気温は40度ぐらいになるのは容易に予測できそうですね。

そんな中昨日のニュースで
経産省を退任した役人幹部3人が、自己都合退職によりただですら高額な退職金に更に上乗せして
7千万円前後の退職金(当然税金ですよ。)を支払われたそうですね。

かたや、原発事故の被害にあい、被害者救済の対象になる方々には、未だに具体的な金額や賠償の時期なども
決まってないそうです。

原発事故を引き起こした悪代官が大金を手にして、被害者の皆さんは未だに辛い毎日を送ってらっしゃいます。

お盆の祈りと一緒に、こんなどうしようもない奴らがこの世から早く居なくなりますように・・・・。
こういった悪魔がいない地球になりますように。

こういった蛆虫を蔓延らせないように、新聞やテレビだけではなく、ほかの媒体も利用して、日頃から意識するようにしましょう。
一般市民の意識改革が起こる事が、いちばん奴らは危機を感じるはずです。


8/08/2011

やっほー 伊吹山

土曜日の夜から、湖にゃん市に暮らす甥っ子が1人で遊びに来ました。

去年の夏休みにいった姉川温泉がいたく気に入ったようで、もう一度来たかったらしいです。

翌日甥っ子をつれて伊吹山方面に遊びに行ってきました。

混む事が予測されたので、朝の8時半頃にゲートを通過しました。

山頂は高山植物がたくさん咲いていました!!



 血筋なのか、甥っ子もメカ好きのために、一眼レフカメラにて生意気に撮影します。
殆どピンぼけですけどね。

 カミキリムシを甥っ子が見つけました。


 到着した直後は、ガスもかかってなく、遠くの湖西方面まで見渡す事が出来ました。

山頂にてポーズです。


風があまりなかったので、山頂でもかなり暑かったです。
昨日はとても暑かったので、涼を求めて、関ヶ原の鍾乳洞に向かいました。

その後姉川上流の、与久郎の滝に向かいました。
車を駐めて5分ほど歩くと、小さな滝が見えてきました。
 修行中の甥っ子です。

一時間ほど水遊びして、4時頃には帰宅しました。

昨夜2時頃までiPadを触っていた甥っ子は、ちょっと疲れた様子でした。
楽しい夏休みの思い出になったことでしょう。
子供には
家でゲームばかりよりも、なるべく自然を体験させてあげたいですね。

自分の暮らす村が無くなるという事。

こんばんは
土曜日の午後、高島市で開催された飯舘村の酪農家長谷川健一さんのお話を聞く会がありましたので
行って参りました。

「原発さえなければ」

長谷川健一さんの暮らす飯舘村に隣接した相馬市で、酪農を営むご友人が自らの命を絶たれた際に、
牛舎の板にチョークで書き残されたメッセージです。


飯舘村は持続可能な村を目指して、村で生活している人々が様々な工夫や知恵を出し合い村作りを進めてこられました。
そして、畜産においては20年以上の歳月をかけて、飯舘牛というブランドを確立されました。

「までい」と言う方言にあるように、「両手」「ていねい」「つつましく」と言う意味を
村に暮らす人々が理解し実践され、これから私たち日本人のお手本となるようなコミュニティを形成されていらっしゃいました。

今回お話しされた長谷川さんは、地域の酪農家の責任者だったそうで、今回の事を風化させないためにも
原発による被害の現状を話されました。

この日は広島に原爆が投下された日と重なり、私たち日本人がこれからどのように生きるべきなのかを
私自身も再確認する日となりました。

「経済成長」と言う言葉

日本はこの言葉の呪縛から離れる事はできないのでしょうか?

私の様な貧乏人でも、車・冷蔵庫・エアコン・パソコン等々、文化的生活ができる商品は既に日本人の殆どに行き渡っている状況です。

原発問題を語るとき、この経済成長と言う言葉に洗脳されている人と議論すると、まったく話しにならないので
私はあえて、そうした人種と討論することは致しません。

ただ言える事は、いつもまじめにこつこつと丁寧にやっている人が、悲しい思いをする事は絶対に許されるべきではないと思います。

今回の飯舘村を襲った放射能汚染は、まさに自分達の「新しい価値観」を丁寧に形成されてこられた人々の生活を
一瞬にしてぶち壊しました。

長谷川さんのお話を、簡単にまとめると

※政府や、県、自治体の出す情報は殆ど当てにならなかった。
※先日まで政府が言っていた事が、今日になって急に正反対な事もあった。
※大手マスコミに話した事は、かなりの部分を編集されて放送・掲載となっていた。
※この先飯舘村の子供達は一生「飯舘村出身」と言う十字架を抱えて、結婚差別などを受ける事になるだろう。

ほかにもいろいろありますが、話しを聴いていると、政府・東電による後手後手の対応や、
原発推進よりの学者の非現実的な解説により何を信じて良いのか、混乱続きだった事が伺えました。

捨てると解っている牛乳を搾り続け、廃棄する様子。
これ以上の経営は無理との判断により、村の全ての畜産農家さんが牛を処分(とさつ・移動)された時
経営者や奥さんなどが涙を流して牛を見送られる様子に、私も堪えきれない感情になりました。

遠いところから、高島まで来てくださり生の声を聴けた事は、私にとって深い意味をもつ一日となりました。
またこの会をコーディネイトされた方々も、いろいろな思いがあった事と思われます。

私たち滋賀県に暮らす住人も、いつこのような事が起こっても全くおかしくない原発銀座に隣接している事を
今後は一日たりとも忘れずに、暮らし、勇気をだして、新しい価値観や、新しい国家のあり方を真剣に考えるべきだと感じます。