こんばんは
土曜日の午後、高島市で開催された飯舘村の酪農家長谷川健一さんのお話を聞く会がありましたので
行って参りました。
「原発さえなければ」
長谷川健一さんの暮らす飯舘村に隣接した相馬市で、酪農を営むご友人が自らの命を絶たれた際に、
牛舎の板にチョークで書き残されたメッセージです。
飯舘村は持続可能な村を目指して、村で生活している人々が様々な工夫や知恵を出し合い村作りを進めてこられました。
そして、畜産においては20年以上の歳月をかけて、飯舘牛というブランドを確立されました。
「までい」と言う方言にあるように、「両手」「ていねい」「つつましく」と言う意味を
村に暮らす人々が理解し実践され、これから私たち日本人のお手本となるようなコミュニティを形成されていらっしゃいました。
今回お話しされた長谷川さんは、地域の酪農家の責任者だったそうで、今回の事を風化させないためにも
原発による被害の現状を話されました。
この日は広島に原爆が投下された日と重なり、私たち日本人がこれからどのように生きるべきなのかを
私自身も再確認する日となりました。
「経済成長」と言う言葉
日本はこの言葉の呪縛から離れる事はできないのでしょうか?
私の様な貧乏人でも、車・冷蔵庫・エアコン・パソコン等々、文化的生活ができる商品は既に日本人の殆どに行き渡っている状況です。
原発問題を語るとき、この経済成長と言う言葉に洗脳されている人と議論すると、まったく話しにならないので
私はあえて、そうした人種と討論することは致しません。
ただ言える事は、いつもまじめにこつこつと丁寧にやっている人が、悲しい思いをする事は絶対に許されるべきではないと思います。
今回の飯舘村を襲った放射能汚染は、まさに自分達の「新しい価値観」を丁寧に形成されてこられた人々の生活を
一瞬にしてぶち壊しました。
長谷川さんのお話を、簡単にまとめると
※政府や、県、自治体の出す情報は殆ど当てにならなかった。
※先日まで政府が言っていた事が、今日になって急に正反対な事もあった。
※大手マスコミに話した事は、かなりの部分を編集されて放送・掲載となっていた。
※この先飯舘村の子供達は一生「飯舘村出身」と言う十字架を抱えて、結婚差別などを受ける事になるだろう。
ほかにもいろいろありますが、話しを聴いていると、政府・東電による後手後手の対応や、
原発推進よりの学者の非現実的な解説により何を信じて良いのか、混乱続きだった事が伺えました。
捨てると解っている牛乳を搾り続け、廃棄する様子。
これ以上の経営は無理との判断により、村の全ての畜産農家さんが牛を処分(とさつ・移動)された時
経営者や奥さんなどが涙を流して牛を見送られる様子に、私も堪えきれない感情になりました。
遠いところから、高島まで来てくださり生の声を聴けた事は、私にとって深い意味をもつ一日となりました。
またこの会をコーディネイトされた方々も、いろいろな思いがあった事と思われます。
私たち滋賀県に暮らす住人も、いつこのような事が起こっても全くおかしくない原発銀座に隣接している事を
今後は一日たりとも忘れずに、暮らし、勇気をだして、新しい価値観や、新しい国家のあり方を真剣に考えるべきだと感じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿