岐阜県は山岳地帯から濃尾平野に至るまで、非常に多様性のある自然環境の県だと思います。
標高などの違いによりかなりの長い期間県内でのいろんな紅葉の名所に巡れるとても趣のある県ではないでしょうか?
という事で、今年は以前ポストした飛騨高山や白川郷とはまた一ヶ月程違って、平野部近辺まで紅葉が降りてきた時に2つの紅葉狩り名所を巡りました。
一つは谷汲山華厳寺周辺です。
11月18日(土曜日)ですが、お天気も快晴とはならずに、朝一番に行きましたので、まだ観光客も少なくゆっくりと見学出来ました。
散っているのか、まだこれからなのか微妙な感じの色づきが特に表参道のお土産店などのあたりがそんな感じでした。
境内に入ると、少し雨が降るか降らないかの微妙な感じではありましたが
それはそれでしっとりとした艶のある趣が感じられます。
この日の晩は根尾の薄墨の方では雪がチラつき非常に寒い天気でもありました。
普段めっきりスマホに慣れてしまっていると、デジタル一眼が重く感じられて、実際にやはり私の使用しているマイクロフォーサーズでも、邪魔になるというか物体として気を使わないといけない瞬間が何度かあるので、最近は使う回数がめっきり減ってきていました。
それは逆に言うとスマホでそこそこキレイな写真が撮れるようになってしまったのもあります。
ただ自宅に帰って、大きな画面で読み込んだデータを確認すると、やはり色の深みや、コントラストや解像感等が全くスマホとは異なります。
今回谷汲山華厳寺周辺での撮影は12−100のProLensを使用しています。
明るいレンズでは無いので、ボケに関しては期待が出来ませんが、実際に使っているとその万能感が感じられるLensではあります。
さて次ですが美濃市にあります紅葉で有名な大矢田神社に行きました。
こちらは12月3日でしたが、既にピークは過ぎて、落ち葉の絨毯で素晴らしい感じでした。
おそらく一週間近く前からがピークだったのかと感じます。
この日も若干雨がぱらつく程度の曇ったしっとりした天気ではありましたが
それはそれで、最後の落葉の寂びた感じと艶がまた良かったと思います。
今年で50歳になったのですが、いつも思うに一体自分はあと何回この自然の美しい毎年の変化を自分の目で見られるのだろうかと言うことを非常に感じるようになりました。
着ている洋服も20年ほど前に買ったものなどを着たりしていて
最近は洋服自体にもあまり興味が沸かなく、それよりも未だに延々と続く使い捨ての消費経済は一体いつまで続くんだろうかと考えるようになりました。
今回大矢田神社での撮影には12−100ではなく12−40のf2.8の比較的明るいレンズを持っていったので、12−100よりは断然背景がボケる感じになり、普段ボケた写真を撮らないので
あたかも合成写真の様に感じてしまいましたww
さて昼飯を美濃市の古い町並みが佇む周辺で食べて、久しぶりにこの辺りを散策致しました。
飛騨高山とは違って、人も殆ど居なくて、非常にゆっくりと街並みを回れます。
そして背後に直ぐ紅葉の最後と思える燃え尽きた後の色鮮やかな山々がありますので
これも絵になります。
街並みは電柱も排除されていて、非常に美しく景観が保たれています。
ゴミも全く落ちていなくて、ある意味穴場の観光地かもしれません。
そして美濃市の和紙はユネスコ無形文化遺産に登録されている、非常に素晴らしい伝統的な技術により作り出されます。
着物でもそうでしたが、日本の政府が日本独自のこうした素晴らしい産業を義務教育の中のコンテンツとして教育してこなかった為に、あるいみ大人になってそうした事に興味のある人だけの嗜好品の様になってしまいました。
まあ、私もその一人で、この歳に近づくまで西洋かぶれしたものばかり追いかけて来た節はありますが。
おそらく跡継ぎ問題や職人さんの減少などが、今後もこうした日本の伝統産業や技術で問題が更に顕在化してくると思います。
この日は事前の学習もなく訪れ散策しましたが、街の中には和紙のお店が何店舗かありました。
とても素敵な和紙が売れていましたが、この日は特に何も買わずに帰りました。
本当は美濃紙で作った扇子で美しいものがあったのですが、我慢して帰りました。
またこの近くはよく通ったりしますので、目的があったときにゆっくりと商品を見たいと思います。
と言うことで、今年の紅葉狩りも自分の中では全て終了した感じでありますが
まだ暮らしている周辺では、近くの森の中や神社の中や周辺の山などで最後の色づきを見ることができると思います。
そうこうしているうちに、厳しい冬がもうそこまで来てる寒さになってきました。