9/25/2012

BIAS社 SoundSaverを使ってみて・・・・。

前回LPをMacに取り込む(録音)するために、アナログレコード用のADコンバーターの投書をしましたが

その後何枚か取り込みしてきて使ってみた感じを書いてみたいと思います。

そもそも、iTunes等のダウンロード販売が一般化している世の中で、CDすら売れないというのに
アナログのLPをパソコンに録音する人など私を含め、ただの物好きかオタクかしかいないと思います。
まあ、アンチダウンロード派ですからね。私はww。

よって、一般世間では必要のないことなので、ネットを探してもなかなか参考になる記事が上がってこないこともあり、つらつらと書いてみたいと思います。

前回書いたように、どこまでの高音質でデジタル化するかによりますが
いかんせんお金が無いのと、割り切りが必要なので、24bit 96kに拘らずに
一万円ほどで購入可能なART社製のUSB Phono Plusを利用しています。

特にこの機器自体のおかしな欠点も今のところそんなに無いと思います。
ハイビット、ハイサンプリング出来ない点を除けば(値段が値段なので仕方がないです)、それよりも、ゲイン調整が出来たりローカットフィルターが付いているのが意外と高機能で重宝だったりもします。

そしてこちらに付属している(潰れた)BIAS社のソフトのSoundSaverが非常に使いやすかったです。
ただ、USB Phono PlusにバンドルされていたSoundSaverは正規のそれより若干ですが機能制限がありました。
まず。録音が44.1kに限定されてしまう。
ハードウェア側の仕様に依存するのかと思っていましたが、バンドルソフトではサンプリング周波数の変更が出来ないようです。

ちなみに。この後BIAS社のPeak LE 7を購入しましたが、こちらにバンドルされていた正規のSoundSaverは、そう言った制限もなく、48kでの録音や、私が別に使用している24bit 96KHzでの録音も認識してくれました。

他にも録音後のクリーニング作業のウインドウでのパラメーターも若干異なっていました。
ただ、無駄なエンハンサーや、ノイズリダクションをかけてしまうと
露骨に音質が変化してしまうので、私は殆どバイバスしていますから、このへんはあまり関係無かったです。

一気に録音した曲ごとのトラック定義のウインドウですが
ここが一番作業の時間がかかる部分です。なれると非常に早く出来るようになりました。
要は曲ごとの出だしと終わりを波形を見て、実際に音できいてポイントを定義して、分割します。
これがあるおかげで、無録音部分のプチプチの部分とかもバッサリ時間(波形)ごとカット出来ます。
あとは、分割して曲の数がアルバム通りに定義出来た後は、タグの自動入力画面があります。
アーティスト名と、アルバム名を入れるとCDDBに参照するのか、これじゃないでしょうか?と
該当するアルバムのリストとそれに含まれている曲数を表示してくれます。

この機能が非常に便利で、データベースに運良く参照出来れば、あとから曲名やアーティスト名や曲順などのタグをデータに打ち込むことなく
自動で定義してくれるのです。(素晴らしい)

ただ、CD化されてないような古いアルバムなどは意外とデータがあがってきません。
全く違うアルバムなどが候補に挙がってきてしまうので、それはキャンセルして、手動で後ほど入力します。

最後は書き出し画面にて、どのようなフォーマットで書き出すかを選択肢から選びます。
私の場合はWAVで録音したままのクオリティーで一旦書き出して、それをiTunesに放り込みます。
その後iTunes側にて、iPod用のAACに変換します。
まあ、こんな感じで昔のカセットに録音するのと同じ時間がかかります。
その後の波形編集などもあるので、それよりも面倒かもしれませんが
手軽にiPodやデジタルオーディオで聴くことが出来るようになると思えば、このぐらいの作業は
ありかなと思います。

それと、録音していて、まれにモニターの音がおかしくなってしまうときがありました。
瞬間的に音飛びしたように・・・。
針飛びかな?と思いましたが、どうもそんな感じのノイズというか音飛びではなかったので
私のパソコンがC2D時代のiMacと言うことと、録音時の同時モニターの出力を
もう一つのオーディオコンバーターのDAを利用しアウトしていましたので
一度に二つの外部USBコンバーターを使用していたためか、録音時だけは
アウトの設定をiMacの内臓スピーカーに変更したところ、そういった音の乱れは無くなりました。
編集の際はヘッドフォンで外部アンプからモニターしますから、またDAを通しての音出しになりますが、録音さえ無事にしてしまえば、あとはどうってことありませんから大丈夫でした。

私の探す努力不足かもしれませんが
Macでこういった一連の作業がほぼマニュアルを見ずに効率よくウィザードにそって楽に出来るソフトがおそらくあまりないと思います。
潰れてしまったBIAS社のオーソライズサーバーが幸いにも今のところ生きているので、利用することが出来ていますが
このソフトが使えなくなってしまうと思うと、ちょっとそれは不便かもしれません。
どなたか良い代替ソフトをご存じでしたり、別の方法でデジタル化してるよ!!と言う意見がありましたら、コメントして下さい。

ちなみに今使用しているMacOSはスノーレパードです。
Lion以降に上げる体力もこのMacには無いと思いますし、そもそも動かなくなるソフトがたくさんあるので、それはそれで困ったりも・・・・。

もう1台のMacBookでも同じ環境で使えるようにオーソライズはかけましたので
1台がクラッシュしてもまあ、当分の間は使えると思います。

と言うことで、古いLPやアナログソースをお持ちの方でMacに取り込んでライブラリに追加したい方は、是非楽しんでみてください。

9/23/2012

一人巡り 金沢・福井編

今回の金沢に行くついでに廻ったところが何カ所かありましたので
紹介していきます。

まず行きの途中に北陸自動車道の徳光PAにあると言うか、そこから出入り可能なんですが
隣接した場所に松任市民温泉というのがあります。
 以前からここの高速を通る旅に一度入ってみたかったのですが、今回入浴する事が出来ました。
お昼までの時間はこちらにてつぶせました。
入る前は雨模様でしたが、入った後は写真の様に晴れてきました。
ここは凄まじく年齢層が高いです。お爺さんとお婆さんしかいないと言っても過言ではないほどに、なかの食堂などもサロン化状態でした。

お昼を金沢でどこで食べようか、直前までなにも下調べしていなかったので
私の知っている方で、大学に金沢に在住されていた通の方に直接メールでお伺いしたところ
大変詳しく色々教えて頂きました。
 なんでも、金沢が誇るB級グルメのなかでも、こちらのハントンライスというのが
金沢のソウルフードとして有名らしく、教えてもらったお店に向かいました。
年期の入った店舗に入ると、殆どの人がこちらのハントンライスをオーダーしているではありませんか・・・・。
 ほかにも魅力的なメニューがありましたが、せっかくこちらに来たので、ハントンライスを注文することにしました。
 私はエビが食べられないので、エビ抜きで注文しました。
大盛りもありましたが、普通の奴を頼んでいざ出てくると、デカいww
全部食べられるか不安でしたが、なんとか全部頂くことが出来ました。
オムライスに魚のフライが乗せてあり、タルタルソースがかかっていると思って頂くと
なんとなく味がわかってもらえると思います。

お昼を食べた後は、バスにのって金沢の伝統が今も残る東茶屋界隈に出向きました。
 過去にもなんどか伺ったことがありましたが、なんとなくまたこちらに来てしまいました。
 古い町並みはやはりホッとします。

そこからバスにのって美術館の隣にある、金沢能楽美術館に行きました。
最近リニューアルをされたそうで、能衣裳と能面を着せてもらっての体験が出来るようになったそうです。
なかなか出来る事ではないので、ボランティアの方が是非とも体験して下さいとしきりに進めて頂きましたが
ちょっと怖かったので今回はご遠慮致しました。

で、結局この後お茶をして、ホテルにもどってコンサートとなったわけです。

翌日は、 昨年から気になっていた禅で有名な永平寺に、下道で向かうことにしました。

禅と日本文化を読み解いていくと、現在の日本が直面している様々な問題を解決する糸口がある気がしています。

禅の精神は、飾り立てプラスしていくことによって表現する西洋の文化と違って
究極的に装飾を排除した(ミニマリズムという言い方とは違うかもしれませんが)
受け手に委ねる特性をもっている感じがするんですね。
昨日見てきた能楽の世界もそうですが、所作と所作の合間の行間に一番大切なことが潜んでいるといいます。

製品作りに徹底した無駄を省き見えない部分から発生する「何か」を求め続けていたスティーブジョブズが亡くなり、そして昨年の311が我々日本人に示した今後の日本のあり方も
私はこの、見えない部分に重要な知恵というかヒントがあると思うようになりました。

それを感じれる人と、まだまだお祭りをしていたい何も感じない人でおそらく
今後の生き方も変わっていくのではないでしょうか?

本来私たちの先祖や、日本の戦前までの様々な文化にこうしたミニマリズムな精神は宿っていたはずでしたが、戦後の高度経済成長期以降、所謂成金国家の道を突き進んでいき
毎日がお祭りのようになってしまっていたのかとも思います。

と言うことで私の戯言はこの辺にして、中学生以来だったと思います。
久しぶりに訪れた永平寺のレポートです。

 このように、とても大きな敷地の中に様々な建物があります。
 永源寺は今から670年前に道元禅師よって開かれた座禅修行の道場です。
お天気もよく、お寺の中も緑が溢れ、太陽の光と緑と建物のただそれだけの美しさで溢れていました。
お掃除もお坊さんが至るところで綺麗にされていました(作務)。美しかったです。

こちらの永平寺さんでは、禅の体験修行プログラムもあるそうです。
みっちり三日のプログラムと一泊二日のプログラムがあるそうです。
私もいつか体験したいと昨年頃から思うようになりました。

永平寺の最後の通路の壁には貫首の福山諦法さんのお言葉のパネルが掲示されていました。
そのなかで、昨年の震災の事にふれ「今こそ快適さや便利さを追求する社会から脱却し、未来を生きる子供たちが笑顔で生きていける、いのちを大切にする社会を築いていかなければなりません」と記述されていました。

昨年こちらの永平寺にて、脱原発のシンポジウムが開催されました。
私も行きたかったのですが、当日は平日だった事もあり行けませんでした。
永平寺が過去に命名に関わったとされている、高速増殖炉の「もんじゅ」や新型転換炉の「ふげん」は何れも菩薩の名前にちなんだものだそうです。

当時の朝日新聞記事より

曹洞宗大本山永平寺の僧らがつくる「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。すべての命に思いを寄せる釈迦(しゃか)の言葉を引きつつ、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。小浜市の明通寺住職、中島哲演さんらが講演する。高速増殖原型炉は「もんじゅ」、新型転換炉は「ふげん」。1970年、二つの原型炉の名前は、菩薩(ぼさつ)から取られて決まった。「文殊菩薩の智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。菩薩と世間におわびしたい思いから、今回のシンポジウムを企画したという。釈迦は「これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」と説いたという。原発を動かす限り、半減期2万4千年のプルトニウムが生み出され、子孫に残される。西田事務局長は「『私たちさえよければ』という欲に支えられた利益を漠然と享受してきたことに自覚的になり、一人ひとりが生き方を選ぶためのシンポジウムにしたい」と話している。

当時私はこの有名な永平寺がこうしたセンシティブな問題のシンポジウムを開催されるということに、驚きを感じました。
今年の2月には、全日本仏教会の会長が記者クラブでの講演にて、
以下京都新聞記事より
河野会長はまず「仏教の根本は人命の尊厳」とし、その教えを説く者として、自らの教団が戦争遂行に協力した過去を問い続けた半生を振り返った。その上で原発事故について「口を閉ざしていることは、かつて戦争へと転がっていく社会的状況に順応したことと同じ」と心情を述べ、「豊かな生活が誰かの犠牲の上に成り立っていると知って反省し、原発を必要としない社会を求めなければいけない」と訴えた。福島第1原発事故を受けて出した宣言文では、豊かさの追求の結果、命を脅かす事態を招いた現実への深い反省と、原発への依存を減らして持続可能エネルギーによる社会の実現や個人の幸福と人類の福祉の調和の道をうたっている。

こうした宗教界での動きを見ていても、やはり原発問題に関しての仏教界のコンセンサスも
脱原発の方向にまとまってきているのではないかと私的におもったりもしています。
参道沿いにはたくさんのお土産屋さんが連なっていました。
観光客もひっきりなしにバスから降りて、永平寺に向かっていきます。
上の写真はお土産屋さんのゲージのなかにいた猫ちゃんです。
とてもおとなしくて可愛かったです。こんな所でも猫とあえるなんて、私は幸せです。

車を海に向かって走らせます。
東尋坊に着きました。実は東尋坊は私がまだ20代最後のあたりに、とある人と二人で来たことがあるばしょで、そこからもう10年ほど時が経ってしまっていたと
改めて感慨深い気持ちに少しなりました。
そんな事はさておき、今日は一人で楽しく来ているのですから、ゆっくりと見学していきたいと思いました。
天気がとてもよく、風もなかったので、遊覧船は稼ぎ時といわんばかりにフル回転していました。
東尋坊は上から見るとめっちゃおっかないですが、したから見上げると、そんなに高く感じないのは私だけでしょうか?
こちらもたくさんの海産物のお土産屋さんが軒を連ねているので、猫が自然とたくさん集まるようになったのでしょう、何匹か懐いている猫を触りました。

と言うことで、二日目は高速は敦賀から長浜の区間だけで、あとは全て下道でのんびり周遊する事ができました。

短い期間でしたが、特に永平寺に訪れることが出来たのは、私にとって意味がある事だった気がします。

大貫妙子さんの北陸ツアーに行ってきました。

金曜日の夜に行われた大貫妙子さんの北陸ツアー初日のライブに行ってきました。

会場は金沢市の南にある、野々市市(はじめなんて読むか解らなかった)のフォルテホールです。
金沢の中心部から車で20分ほどですので、ほぼ金沢でのライブといったところでしょう。

当日は午前中から高速を使い金沢に向かいました。
お昼過ぎにホテルの駐車場に車を駐めて、少し市内を散策し4時頃にホテルにもどり大浴場にはいり、部屋で横になっていると、なんと居眠りをしてしまっておきたのが6時半前だったので
慌てて着替えて、車を出し会場に向かいました。

夕方の市内は渋滞も重なり会場まで少し時間がかかりましたが、なんとか無事に開演に間に合うことができました。

5分ほど遅れてコンサートが始まりました。

去年の松本市で行われたライブ以来ほぼ一年ぶりの妙子さんです。
前回の松本でのライブも最前列でしたが、今回も幸運にも最前列のほぼ中央という
ラッキーな席です。
UTAUライブでは教授と福井に来られましたが、単独で北陸に来られるのはかなり久しぶりとの事でした。

金沢近辺50万人都市ですが、ホールは少し席が余っていました。
大貫さんのライブは、「一人で来る人が多い」と妙子さん自身も語っていらっしゃるように
彼女の歌が好きな人は大貫さんもそうらしいですが「群れない人が多い」ために
人を誘ってくれずなかなかお客さんが劇的に増えることはないと。
ご本人もそうしたファンのカラーをよくわかっていらっしゃるようで
私もいつものように単独行動ですし、私のお隣の女性も単独で来られていました。
私が知ってる人などは、某男性二人組のライブに友達とお祭りのように楽しんで行かれている方もいます。
ファンクラブでないとチケットが取れないほどらしいです。

まず、今回のメンバーは
ドラムに林さん、ピアノにパネさん、ギターに小倉さん
と鉄板メンバーです。素晴らしいですよ、この方達の演奏は。
なんて贅沢なんでしょう。小倉さんのスタッフのマニピュレートをされている方も
昨年の松本市でのライブと同じように打ち込み音源のコントロールと
今回はベースも弾かれていました。
セットリストです。
富山市でのライブも終わられたので、セットリストアップします。
最近の妙子さんの心情からなのか
自然の内容と絡んでいる楽曲が増えているように感じます。
最近最後に「懐かしい未来」を歌われることも、心に思っていらっしゃる事があるからだと思います。

パネさんとのピアノだけとのアレンジの曲などでは
PAを通してない素の声がもれて聞こえるんですね。私の席からだと。
ベーゼンドルファーは大きいので、結構音が聞こえますが、妙子さん本当に華奢なんですが
身体以上の声を出されているのを感じました。
若い頃の歌い方から変わっていることもありますし、声質が変化しているのは
最近のCDやライブでも解りますが、たまにハッとするんですね。
だからライブで生できくのとCDで聴くのとではやっぱり全然違いますね。
お金かけてでもライブに行かないといけません。
今回お客さんが意外とノリが良かった(少し拍手が早すぎると思ったが)せいもあり
前半からリラックスされて歌われていたように思いました。

MCでは、SNSとかスマホに対する妙子さんの考え等々・・・。
地方に広がる長閑な風景を守っていって欲しい。とても素晴らしいものに囲まれているのに
携帯ばかり見ていてもったいない。とも。
仰るとおりです。
スマホやゲームをやるなとはいいませんが、
自分の身の回りのことに無関心で、画面の中だけの世界で時間が流れてしまっているのは
残念というか、私もそう思います。
所詮コンピューターや携帯なんて下駄と同じだと私は思っています。
実際に自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて。
私が猜疑心が強いからなのかもしれませんが、近年何事もライブに拘るのは
自分が直接感じないと、やはり良い悪いが判断できないからだと思うようになったからです。
コンサートが終わった会場
今後も大きな会場でなくてもいいので、出来る限りライブを期待しています。
このバックメンバーが揃うのもなかなかないですし。

ということで、あっという間のライブでした。
この日は金沢通の方に教えてもらったお寿司やさんにて、このあと晩飯を食べました。
美味しいお寿司も食べられましたし、最高の一日になりました。

9/22/2012

はじめての御坊さん講座

秋分の日です。
かなり過ごしやすくなってきました。

先日19日、長浜大通寺で御坊さん講座がありました。
いろんなテーマで恒例で開催されていますが、
今回のテーマは東日本大震災に関連して「被爆していいものなどいないのだと叫びながらただ念仏して・・・」でした。

震災から一年半以上が経過し、私も含めた被災地以外の日本人が震災や原発とどのように向き合っていくのかなど、私自身まだまだ自分の未来と切っても切れないテーマでもあるので
ちょっと敷居が高かったですが、初めておじゃまして参りました。

初めにお経をみなさんで読んでいらっしゃいましたが、全然唱えることができないので
情けないですが、みなさんのお経をきいておりました。

お経のあとに石川県七尾市の常福寺というお寺の副住職の畠山浄氏によるお話しが始まりました。まだお若い感じのご住職さんでした。
昨年から二本松市のお寺とボランティアなどで関わっていらっしゃるそうです。

線量の事とか、原発の状況等のお話もされましたが、やはり中心となる部分は、こちらのご住職が原発とご自身との関わり合いの部分のお話しでした。

能登半島の西部には皆さんもご存じのように志賀原発があります。
93年運転開始の比較的新しい原発です。ちなみにこちらの原発の差し止め判決を出された井戸謙一氏は裁判官の後彦根にて弁護士さんをされていらっしゃいます。

実際に原発の立地圏で暮らしている方の生の声というのは結構タブーな部分もあったりで、今まではなかなか表に出てこない状況でした。

ご住職が中学生の頃に原発立地に向けた動きが活発化し、当時から賛成と反対の二つの意見が地域の中で交差するなか、高校に進学する頃から反対・賛成という色眼鏡で周囲の人を見るようになり、そのようなしがらみから開放されたい気持ちも重なり地元を後に大学に進学されたそうです。

ご住職の言葉の中には、原発問題を心の中で封印し、事故さえ起きなければ・・・と、のうのうと自分が生きてきたことに対しての悔やみというか、そういった感情にかなり苛まれた事をおっしゃっていました。

私自身も昨年の311以前の自分と現代文明との関わり合いに対して、殆ど意識を持たずに、どっぷりと浸かっていました。
福島も大飯原発やこの志賀原発などもそうですが
所謂、大変リスクの高いプラントを、都市から遠ざかった過疎の地域に押しつけ
送電線の遙か向こうで、毎日お祭りのように電気を使いまくっている場所も、同じ日本の中には存在していることを、そして私自身も無意識にその一員だったことに今では特別な気持ちを持つようになりました。

そして、賛成or反対 無意識or意識 いろんな人の心を分断してしまったのも、各の人が悪いのではなくそうしたフレーム(原発行政)がもたらした問題だとお話しされ、私もその通りだと
思いました。

そして「身土不二」と言う言葉を用い 
原発(が出来)→暮らし(が変化し)→その結果(今回の事故)  は切り離せない問題であり
なかなか答えがでる事ではないが、向き合っていかなければならないと、
そして、苦しみを(過疎などの)弱い立場の人間に押しつけ少しでも楽で便利な生活を追い求める現代の状況も、考えていかなければいけないと。


話しが変わりますが、先日の30年後の原発ゼロを盛り込んだ国家戦略の閣議決定も
いつものように経済団体やアメリカなどの圧力にて数日後には先送りとなりました。
ドイツの様なスピーディーな転換に比べて、どうしても利権にしがみつきたい連中や
経済界の取り巻きが毎度のように圧力をかけてきますが
こうした声を封じ込めれるのは国民の力にかかっていると感じます。

9/19/2012

近江八幡の八幡堀まつりに(独り)出かけました。

こんばんは。
凄い雨でした。

自然は本当に怖いですね。

所で、先日日曜日に近江八幡で行われた、八幡堀まつりに出かけてきました。
土曜日曜と開催されていましたが、土曜日は仕事があり、日曜日におじゃましました。

街中の旧家周辺から八幡堀にかけライトアップが行われ、写真の様に八幡堀もろうそくの灯ろうで埋め尽くされます。

私はてっきり近江八幡駅から、無料のシャトルバスが運行されているのかと思っていましたが
駅に下りても、それらしきバスが見あたらず、普通の路線バスに乗車して、会場に向かいました。

こちら周辺は駐車場も大きなものも無いはずですし、こういったイベントの時はシャトルバスを運行してもらえるとありがたいと感じたのは私だけでしょうか?
もしあったのなら私が気づかなかったので申し訳ないですが、完全に無料とはいいませんが
100円ぐらいで運行してもらえればと思いました。
と言うことで、ぐたぐた話しよりも写真の解説いってみましょう。

まずお堀の上の一番メインの橋(たねや)があるところの橋の上から撮影しました。
日が完全に暮れる寸前で、微かに自然光が存在しています。
こちらの場所周辺は既に、人だかりでいっぱいでした。
上の写真が橋から南側
下の写真が橋から北側です。

水面のそばまでお堀を下りることが出来ます。
会場は一眼レフカメラを三脚に付けたカメラマンが大勢いました。
意外と思ったのは、若い20代ぐらいのカメラマンが一眼レフカメラをもって撮影していたのが多かったです。
なかなかこういった暗闇系のイベントがないので、写真に収めるにはよいsituationだったのかもしれないですね。
私は、一眼レフカメラは今回は持たずに、あえて昨夜新機種(XZ-2)が出てしまい、とうとう旧機種になってしまったXZ-1にて撮影しました。

全て手持ちで撮影しました。
多分ぶれているので、何枚もシャッターを切りました。
 下手な写真ばかりですが、数打ちゃあたるとも言えませんが、だーっと載せました。
所詮コンデジの小さなCCDなので、長時間露光するとノイズまみれになり
フルサイズ一眼レフカメラのような幻想的な写真にはなかなかなりませんが
なんと無く雰囲気はおわかり頂けるでしょうか?

お堀を後にして、今回特別運転をしている、八幡山ロープウェイに搭乗致します。
普段は800円ですが、特別価格500円で運行されています。
しかも、下山後Mini缶のジュースのサービスもありです。
行った頃には既に登場まで列が出来ていました。
30分も待たないぐらいで乗ることが出来ました。
ちなみに、こちらのイベントは、カップルにとっては絶好のイベントとなっております。
ある程度覚悟はしていましたが、列の前が高齢カップル(旦那さんが奥さんに手を繋ごうと出しているが、奥さんは繋ごうとしませんでした)、後ろが大学の先輩後輩っぽいカップル
と、かなり独り者にとっては自虐的イベントですが、気にせずにどんどん進めていきます。
数分で山頂の駅に到着しました。
先日載った新穂高ロープウェイとは桁違いですが、みなさん支柱の通過部分でははしゃいでいました。
山頂からは「八幡ドルの夜景」が見えました。(写真上)

今まで夜景を色々見ましたが、香港のビクトリアピークが100万ドルと言われています。
実際にビクトリアピークを見たことがありますが、やはり近江八幡は八幡ドルぐらいでした。
お世辞にも二桁とは行きませんが、それでも意外と綺麗でしたよ。
ぽつぽつと雨があたってきたので、帰りのロープウェイの列に並ぶことにしました。
驚いたのが、意外と私と同じような独りで来ている人がいたんですね。
男子も・女子もそれぞれ・・・・・。
これは現代の御独り様事情を反映しているなと、並びながら思っていました。
私の後ろの女子も御一人様でしたし、女子で独りで来るのはかなり勇気が必要なんじゃないかと
他人ながら考えてしまいました・・・・。
私の前のカップルは二人ともフューチャーフォンユーザーで、携帯で夜景や自分撮りを楽しみながら、微笑ましい時を過ごしていました。
カメラを見ていると、女子でOM-Dユーザーを初め、男子でもマイクロ系一眼が多かったので
かなりマイクロ系も市民権を得てきたなと感じました。
ということで駆け足で、八幡堀まつりのレポートでした。

来年行かれる方、カップルは特に問題ないです。殆どカップルなので、堂々と行って下さい。

意外と私の感想では、御独り女子や、御独り男子が沢山いました。
特に恥ずかしいことも無いと思います。
夜景や灯ろうもとても綺麗で素敵なので、是非行ってみて下さい。
そして、この日はお寿司を食べて帰りました。

9/13/2012

XZ-1のケースあるいはポーチを探して。

こんばんは
めっきり朝晩が過ごしやすくなってきました。

XZ-1で撮影した写真も、少し増えてきましたが、このカメラの描写の精細さや
色のコントラストのZUIKOらしさに、驚いています。

同社の一眼シリーズEシステムや、PENシリーズなどの色のチューニングとよく似ていると感じます。
コンデジだからと全く期待していませんでしたが、画像エンジンか、レンズの特製なのか私には
明確に断言できかねますが
おそらくZUIKOレンズと銘打ったからには、それなりのクオリティーでコンデジとして乗っけてきた結果がこれなんだろうと感じます。
センサーは(一眼に比べて)小さいですが、コンデジ寄りか一眼寄りかと言うと、結構頑張って
一眼寄りにちがい描写をしてきていると思いました。
特に同社の一眼シリーズをお持ちの方のコンパクト代替機としては、色の違和感などなく使える機種だと思います。
サンプル画像とかあがっていますが、実際に自分で撮影して、いつも使用している画像ソフトに取り込んで見ない限りなかなか客観的に判断できないので、買うまではそこまで期待はしていませんでした。
でも、買って良かったと思いましたよ。ただ言われているようにマクロの切り替えや
AEロックが出来ないという仕様は頂けませんでしたが・・・。


そこで、裸で持つわけにはいきませんのでケースを物色することにしました。
ただ、少し普通のコンデジよりも大きいので、一般的なぺたんこのケースや、ポーチには
レンズが引っかかってはいんないんですね。

かといって、純正のケースや、いかにもこれように作りました的な革製の商品も
ボッタクリ度が高いのと、気合い入りすぎてダサいので
よいポーチやケースを探していましたが、結局DP1で使用していた
Lowepro(ロープロ)のTerraclime(テラクライム)30という商品がかなりジャストなので、これようにもう一個追加購入しようと探しましたが

なんと廃盤商品になっていたようで、国内の店舗には殆ど流通していないのと
ネットでも一切取扱が無い状態でした。

偶然知り合いが海外に旅行に行っていたので、現地のカメラ屋で調達しろと指令を出したところ
なんと売っていたそうなので、ラッキーに買ってきてもらうことが出来ました。

 このようにすっぽりとほぼジャストサイズで入ります。

 引っかける留め具をかける箇所が上と下と二段に分かれて、サイズによって両方で引っかけられるようになっています。

カメラだけを収納した場合は、ジャストで下部の穴に留め具を通すことが出来コンパクトに収納出来ます。
 付属のデュアルポイントのストラップを同時に収納する場合は、嵩がでるので
上の方の穴に留め具を通すことになります。

少し上にサイズアップしますが、ストラップも同時の収納で、ジャストサイズです。

ちなみにこの商品はペットボトルのリサイクル樹脂を95%利用したエコ商品とのことです。
XZ-1のケースやポーチをお探しの方は参考に。

9/09/2012

古民家再生塾in余呉 での茅葺き屋根修繕体験 汗・・・。

続いて、今日の出来事です。

私のブログを見ている人は、「うろうろし過ぎだろ。」と思っている人も多いと思います。

私は死をいつも考えています。

いつ死ぬんだろうかと。
もしかして明日かもしれないし、運良く日本がなんとか良い状態で継続するのであれば
もしかして私も80歳ぐらいまで生きてしまうのかもしれません。

ただ、やっぱり自分が見ておきたいと思ったことや、感じたいと思ったことは、出来る限りやっておきたいと思う訳なのであります。

と言うわけで話しが脱線しましたが、今日は昨夜のクロマの超ハイテクノロジーパフォーマンスから一気に100年程遡るわけであります。

私は自分で言うのもなんですが、このなんちゃってタイムマシン感覚に自分の身を置くことが大好きです。

と言うことで、話しが脱線しないうちに解説行きます。

午前10時に会場の余呉町上丹生という集落に集合しました。
 うー、貫禄というか、茅葺き屋根の古民家です。
写真はみんなで修繕中の写真です。
家の中はこんな感じになっています。

今回先生と言うか、指導をして下さったのは、山城萱葺屋根工事の代表山田雅史親方です。
 凄く若い親方で、まあお弟子さんの前ではおっかないと思うんですが、私たちの前では
色々と親切に楽しく教えて下さいました。
上の写真は、萱葺屋根の断面図を手書きで書いて、説明してもらっているところです。
無くなってしまう萱葺文化を継続していこうと、ご実家の葦屋さんから、萱葺屋根の工事に携わるようになられたそうです。
こういった志の高い方はほんとうにカッコいいですよ。
昨夜のクリエイションでもそうですが、見ていて純粋にカッコいいです。
今って世の中ダサい物に溢れてるじゃないですか。つーか殆どがダサい。
悪趣味で、商業主義で、継続性がなく、直ぐに廃れてしまうもので溢れかえって・・・。
こうした普段お会いできないプロフェッショナルな方と作業が出来る事は光栄ですね。

今回は屋根ごと全部引っぱがすのではなく、壊れた部分を補修する方法です。
萱葺屋根と言うと、葦(よし)を真っ先に思い出しますが、こちらのお家はススキを利用していますので、ススキで補修します。
もともと80CMちかくあった萱葺が、半分ほどに減ってしまって、屋根自体が禿げて来てしまっているので
薄い部分に継ぎ足していきます。
みるからに薄くなっちゃってる部分のススキを一握りほどづつ引っこ抜いて、
少し前にだして、その抜いた穴を手を押し込んで広げて、そこに新しいススキを植えていくような感じです。
ただですね。親方は綺麗にされるんですが、これがやはりまったく上手く行かないんでありますよ。

私の補修した部分が上の写真のたった1箇所ですが、これを植えていくのにめちゃめちゃ時間もかかるわ、上手く刺さってくれないのと、ススキの密度がスカスカになっちゃうんですよね・・・・。

お昼ご飯を食べて、午後もひたすらススキを植えていく作業です。
屋根の際の部分を、親方があーっと言う間に補修していきます・・・。
たぶん、これはイベントだから楽しくやってられるとおもいますが、
こんな使い物にならない弟子が入ってきたら、おそらくボコボコにされているだろうなと言うぐらいの、汚い仕上がりに、自分自身ちょっと嫌悪感に苛まれました・・・・。

なんだかんだで4時前に後片付けと掃除が始まり、参加したみなさんが完全にススまみれになりながら作業します。
マスクを持って行って正解でした。
もの凄いホコリでした。しかも午前中不覚にも半袖を着ていたために、腕の先の方がススキマケしてしまって、帰った今も少し赤く腫れています。

と言うことで、かなりハードな原始的アナログ作業で、汗をたくさんかきました。

結果下の写真の様になりました。
ビフォアー
上の写真は、今日の作業のまえの朝の段階の写真です。

下の写真は、過酷な作業を自己嫌悪な気持ちを抱きながら記念撮影している、作業後の屋根の写真です。
アフター&記念撮影
何でも、経験と言いますが、なかなか体験できない萱葺屋根修繕体験が出来て良かったです。

と言うことで、帰って即行お風呂に入りました!!今日は、気分良かった!!

「CHROMA」SHIRO TAKATANI びわ湖ホールにて。

こんばんは。

土曜日の夕方、大津市のびわ湖ホールで行われた びわ湖ホール・ダムタイプオフィスの共同制作公演
ディレクション 高谷史郎による「CHROMA」を見に行ってきました。

今年の冬に行われた公開リハーサルも拝見させて頂いていましたが
それから半年以上の月日が経過して、どのような形に変化しているのかとても期待していました。

と言うことで、 びわ湖ホールです。
湖畔の直ぐそばでこんなに立派なホールがあるのも、少しバブルな感じもしないでもないですが
滋賀〜京都にまたがる重要な文化施設なので、どこかの市長のように、ばっさりとやられないように、願いたいものです。
 エントランスを通って、中ホールを目指しますが、まだ時間があったので
こちらの写真奥の大きなガラス張りのカフェでドリンクを飲むことにしました。
 ガラスの向こうのテラスには、直ぐに中より出られるようになっていましたので
時間もまだあったので、夕暮れのびわ湖の美しい風景を楽しむことにしました。
 そろそろ時間だったので、館内に戻ろうとしたところ、背後から浅田先生が来ているではないですか(笑)
この前の公開リハーサルの時も帰る時に拝見しましたが、今日はアフタートークでの司会進行をされるとのことなので、私もそちらも含めて土曜公演に狙いを定めたわけです。

前から3列目だったので、非常によく見えたのですが、ああいった公演の場合は少し離れた席からの方が良かったと感じました。

内容ですが、公開リハーサルの時に感じたアイデアの断片みたいなものがかなり変化していたので驚きました。

配布された資料からです。
主に「色彩」と言うキーワードから、メンバーで様々なアイデアを出しながら、形成されていった今回の公演は、見ていた私の様々な色彩を刺激することになりました。

言葉では言い表せない、深い感情を各の観客が感じていたことと思います。
アフタートークでは浅田さんが、「デレク・ジャーマンへのオマージュ」と話されていました。
バケツを使ったシーンや、鹿の角のシーンなどは、たしかにダムタイプらしいユーモアが感じられて、あのアイデアは私は個人的に好きです。
特に美しかったのは、床とホリ幕にそれぞれ映写された映像の中をダンサーがパフォーマンスするシーンです。
人工的な映像と、身体表現と音楽がとても美しかったです。

公演の初日に私の暮らしている滋賀にてあのような美しい自然環境と、立派なホールと
そういった舞台背景も含めて、見終わった後の感動は、浅田さんも非常にエキサイトされていたのが、アフタートークのトーンで解りました。

こうした貴重なアートの創造や文化を守っていく事は、それを見た多くの人々の感動にもなり
次のクリエイターの架け橋にもなると仰っていたことに、私も同感しました。

久しぶりに、私も感動した夜となりました。