かなり過ごしやすくなってきました。
先日19日、長浜大通寺で御坊さん講座がありました。
いろんなテーマで恒例で開催されていますが、
今回のテーマは東日本大震災に関連して「被爆していいものなどいないのだと叫びながらただ念仏して・・・」でした。
震災から一年半以上が経過し、私も含めた被災地以外の日本人が震災や原発とどのように向き合っていくのかなど、私自身まだまだ自分の未来と切っても切れないテーマでもあるので
ちょっと敷居が高かったですが、初めておじゃまして参りました。
初めにお経をみなさんで読んでいらっしゃいましたが、全然唱えることができないので
情けないですが、みなさんのお経をきいておりました。
お経のあとに石川県七尾市の常福寺というお寺の副住職の畠山浄氏によるお話しが始まりました。まだお若い感じのご住職さんでした。
昨年から二本松市のお寺とボランティアなどで関わっていらっしゃるそうです。
線量の事とか、原発の状況等のお話もされましたが、やはり中心となる部分は、こちらのご住職が原発とご自身との関わり合いの部分のお話しでした。
能登半島の西部には皆さんもご存じのように志賀原発があります。
93年運転開始の比較的新しい原発です。ちなみにこちらの原発の差し止め判決を出された井戸謙一氏は裁判官の後彦根にて弁護士さんをされていらっしゃいます。
実際に原発の立地圏で暮らしている方の生の声というのは結構タブーな部分もあったりで、今まではなかなか表に出てこない状況でした。
ご住職が中学生の頃に原発立地に向けた動きが活発化し、当時から賛成と反対の二つの意見が地域の中で交差するなか、高校に進学する頃から反対・賛成という色眼鏡で周囲の人を見るようになり、そのようなしがらみから開放されたい気持ちも重なり地元を後に大学に進学されたそうです。
ご住職の言葉の中には、原発問題を心の中で封印し、事故さえ起きなければ・・・と、のうのうと自分が生きてきたことに対しての悔やみというか、そういった感情にかなり苛まれた事をおっしゃっていました。
私自身も昨年の311以前の自分と現代文明との関わり合いに対して、殆ど意識を持たずに、どっぷりと浸かっていました。
福島も大飯原発やこの志賀原発などもそうですが
所謂、大変リスクの高いプラントを、都市から遠ざかった過疎の地域に押しつけ
送電線の遙か向こうで、毎日お祭りのように電気を使いまくっている場所も、同じ日本の中には存在していることを、そして私自身も無意識にその一員だったことに今では特別な気持ちを持つようになりました。
そして、賛成or反対 無意識or意識 いろんな人の心を分断してしまったのも、各の人が悪いのではなくそうしたフレーム(原発行政)がもたらした問題だとお話しされ、私もその通りだと
思いました。
そして「身土不二」と言う言葉を用い
原発(が出来)→暮らし(が変化し)→その結果(今回の事故) は切り離せない問題であり
なかなか答えがでる事ではないが、向き合っていかなければならないと、
そして、苦しみを(過疎などの)弱い立場の人間に押しつけ少しでも楽で便利な生活を追い求める現代の状況も、考えていかなければいけないと。
話しが変わりますが、先日の30年後の原発ゼロを盛り込んだ国家戦略の閣議決定も
いつものように経済団体やアメリカなどの圧力にて数日後には先送りとなりました。
ドイツの様なスピーディーな転換に比べて、どうしても利権にしがみつきたい連中や
経済界の取り巻きが毎度のように圧力をかけてきますが
こうした声を封じ込めれるのは国民の力にかかっていると感じます。
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