最近家の中もバタバタとして、なれないこれからの介護でちょっと先が不安になったり
いろいろと、余計なことを考えてしまいます。
健常者がイライラすると、当然身体の不自由な人間にあたってしまったり
お互いに嫌な気分になったりで、いろんな人がそういった局面にぶち当たられていると思います。
私の知っている方も、お父さんが病院での世話が色々と必要な方で
たまに会社の空いた時間などを利用して、ちゃんと会社に伝えてから、病院への送り向かいなどをされていたりで
本当にご苦労な様子が、日々の言葉からも伝わってきていました。
ただお互い同じ悩みをもつもの同士、そうやって意見をいったり、ストレスを発散して
やはり、乗り越えていかなければいけないというか、同じ親と子供どうし、仕方の無いことだと思い聞かせています。
色んな制度を利用させて頂いて、負担を分散化できるよう、母親にもなるべくストレスがかからないように
知恵を使って、越えていければと思います。
人間は浅はかな自分自身の頭の中の知恵だけで、いろんな事を考えたり、妄想したり
はたまた、出来もしないようなことを自慢げに言ったりもします。
いつも悩む時に思うのは、悩むこと自体それはもう傲慢だと思うようにしています。
聖書にある言葉で、マタイによる福音書6章25節から
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさる。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
色んな節から各所抜粋しましたが
いつも、悩む時は、自分の浅はかな悩みなど、ただの傲慢だと、思うようにしています。
私の明日の事でさえ、ひょっとして色んな出来事が待ち受けているかもしれないのですから。
それよりも、やっぱり、瞬間瞬間にすこしでも、気持ちよく出来る行動を心がける方が
なにか、よほど強かったり、美しかったりするんだと思いますので
そう心がけて、日々を過ごせれば、ストレスもたまらないように少しはなるかもしれません。
最近、世間に逆行しようと思っています。
こうなったら、自分だけでも思いっきりロマンティック路線でいようと
子供じみてるとか、現実逃避とか、中二病とか、言われても構いませんよ。
やっぱ最近特にメロディーがちゃんとしている音楽や、アレンジがキレイな音楽を聴いていると
自分には、やっぱこの路線が好きなんだと。
0 件のコメント:
コメントを投稿