3/12/2011

さようなら、ぼけ。

こんばんは

金曜日に発生した大きな地震災害で、沢山の方々が被害にあわれ、今のこの時間さえも
寒さや、空腹や痛みに耐えて、救助救援を待っておられると思うと
非常に心が痛みます。

同じ日本

地球儀で見ると、日本って小さくて。
絵の具をたらしたぐらいの形しかないのに

その小さい日本の、少し言葉が違うだけの地域で、考えられないほどの災害がおきて
この時間も、暗闇の恐怖に耐えておられると思うと、「この辺は被害が無くて良かったね。」
だけでは、済まされないなにかどうしようもない自分自身の憤りみたいなものを感じます。

現時点でなにも出来ませんが、現在も苦しみの中にいらっしゃる方々の上に
少しでも早く平安が訪れることを願います。

話しは変わり、そんな日本中の悲しみの中で、昨夜の深夜、20年間飼い続けてきた猫が息を引き取りました。
私が東京に上京をしているときに、実家で生まれた4匹のうちの最後の一匹です。
あれから、もう20年も経ってしまい、私たち家族の編成も変わり、そして時代も変わってしまいました。
そんななか、猫だけは、何一つ変わらずに私に甘えてきてくれました。

昨夜無くなった猫はボケと私は呼んでいました。
掃除機で吸引する動画を以前載せたことがあると思うのですが、それぐらいのことをしても
なんとも動じずに、人間の側に一番いてくれるボーッとした感じの猫でした。

猫には人格というか猫各という物が存在して、それぞれにちゃんとアイデンティティがあります。

私がボケに思うのは
私が数年前にヘルニアを煩い、長い間殆どベッドに寝たままの生活をしていたことがあったときに
写真の様に、私の布団でおとなしく側にいてくれました。
誰とも話し相手もなく、たまに来てくれる友達と、そして音楽と、家族や猫に助けてもらったことを
今でも思い出して、ああ、いてくれて良かったなとありがとうの気持ちでいっぱいです。

今日の午後から、いつもお世話になっている、住職さんに埋葬してもらうために
お寺にいき、お経もボケのために読んでもらいました。
20年間もいっしょにいてくれたのに、なんだか最後なにも助けることも出来なかったので
地震のニュースとダブルで、私の気持ちが久しぶりにそわそわする一日でした。


午前中同県に暮らしている、きょうだいとiChatで3次元での動画チャットをすることができ
猫の様子を見せていたところ、お昼前に、長浜まで最後の姿を見に来てくれました。
お寺から帰ると、父親が久しぶりに外出したいと言い出したので
家族で、近くの大通寺というお寺まで行くことにしました。

辛いニュースや出来事ばかりで、気分転換になりました。
昨夜は一口しかご飯が食べられなかったのですが、今日はちゃんと食べることもできたので良かったです。

悲しいことばかり考えてても、始まりません。


暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース

電力は余ってる、
要らねえ、もう要らねえ

電力は余ってる、
要らねえ、欲しくない

原子力は要らねえ、
危ねえ、欲しくない

要らねえ、要らねえ、欲しくない
要らねえ、要らねえ、

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