7/03/2010

雨にもまける風にもまける

人間は
毎日現実とスレスレの生活をしていると
心のマージンというのが、無くなってきてしまいます。
弱いからです。

会社の成績
偏差値の事
家計のやりくり
お隣さんとのお付き合い
旦那の給料
スーパーの明日の特価品の争奪
ボーナス払いの引き落とし日
二週間もうんこがでなくて、もういい加減にしてよって状態


こんな事以外にも
なんだか、生きてるうちのおそらく90%ぐらいが、その糊代外のなにか
所謂リアリティ過ぎる部分なんです。

毎日あさおきたときから、そういった体中にまとわりつく現実にがんじがらめになって
夜寝る寸前まで、興奮している人たちもいたります。

私もそんなとても弱い人間の代表格だと思っています。
自分の糊代、私は人間のマージンと自分で思っていますが
そのマージンがなくなってくると、なにか本当に醜く、一時の大声を上げていた総理大臣のように
なってしまう気がするんです。

大声ってほんと出来ればあげたくないし、ぎゃくになんで大声をあげてしまうんだろうって
それが終わって数日経てば、なんだか恥ずかしくなるぐらいに
へたすればそれすらも人間というのは都合良く忘れてしまうバカな生き物なのに・・・・。

いつの間にか世の中は大声を上げてさえすればなんとか物事がとおってしまう
昔だと本当に恥ずかしい行為だったものが
マスコミや、なんだかバグだらけの資本主義の加速によって正当化されてしまった気がします。

一時ツイッターなるものをやっていたときに
いろんな人が今の瞬間の自分の目の前の出来事に、テキストベースでつぶやいていて
例えば、目の前の人が酔っぱらっててうるさいとか
そう言った(苦情系ツイート)のが本当に多くて、私もそう思うときもあるんですが
これはあなたや私がいくら「向かいの席のおっさんの口臭が臭い、なう。」ってテキストに
打ち込んだところで、よのなかはこんな些細なことすら、もうどうしようも対処できないぐらいに
微妙なバランスで、人間同士は他人同士は、毎日現実の中を我慢して暮らしているんだと思いました。
向かいの禿げオヤジの口臭すら、解決するのにもの凄いパワーが必要なのに
ましてや、国家と国家どうしが、ちょっと話し合ったぐらいで
または与党と野党がちょっとパフォーマンスしたところで、申し訳ないですが

世の中って、そんな簡単に解決できるような事など、殆どあり得ないことに気づいたんです。
オヤジの口臭に対して、もし面と向かって「あなたの口臭が臭くて死にそうです。席を移動して下さい。」
と言おうものなら、それはもしかして殺人事件に発展するかもしれないぐらいの
ぎりぎりの所を、人間は毎日の生活のなかで我慢して暮らしているんです。

ちょっと脱線しましたが
大きな事を言う人に限って、やっぱ本当に自分の身の回りとか全然出来てない人が
正直殆どでした。
他人の家におじゃまして、靴がきちんと揃えてぬげない人が
世界経済とか、世界平和の事をいくら大声で叫んだところで
なにか非常に滑稽な感じがしたりしてしまうのです。

そう思うと過去にも何度も転載したと思いますが
宮沢賢治さんの雨ニモマケズは
なにか、私の様なバカ者を、冷静にしてくれる炭酸飲料のような存在なんですね。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい

矢野顕子さんのホームスイートホームです。
80年代の矢野さんを代表するアルバム峠のわが家の一番最後の曲です。
私が中学校ぐらいに発売されたアルバムですが、当時サザンオールスターズのアルバム制作費を
軽く上回る制作費で作られたらしいと記憶しております。
ミュージシャンのクレジットを見ただけで、なんとなくとんでもないギャラが発生してそうと
想像がつきます。
アルバム最後のこの曲は子供だったころから今のオヤジ化された瞬間まで、キラキラしたなにかを
感じるよい曲だと思いますね。
私は素晴らしい音楽と今まで出会えたことが、なによりも心の財産になっていると思います。


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